オランダは西欧で初めて訪れた国である。海外で最初に出会った国に愛着を持つものだという話を聞いたことがあるが、その通りで、今でもオランダに愛着がある。何でもありの国なのに、あまり怖さを感じず、受け入れてくれると思いこまされるところがあった。人の背は高く、美人はいない。ハンサムな男もいない。
アムステルダム
10/15(日) モスクワからアムステルダムへ(ホテルアポロファースト)
朝5時に起きた(モスクワ)。7時頃ようやく日が上ってきた。8時の飛行機に乗る。良い天気である。飛行機はKLM(オランダ航空)で、ソ連の飛行機よりサービスはうんと良い。ザ・タイムスとデーリーミラー(イギリスの新聞)を配ってくれたが、読むのも面倒。
途中ポーランドのワルシャワに降りた。天気が悪くなり、空港上空を20分ぐらい廻って、やっと着陸した。ワルシャワ飛行場は町より離れているとかで、何もない。これがポーランドという気もしない。土産も売っていないから、切手を買った。
アムステルダムには12時半頃(昼)着いた。これで日本との時差は8時間になった。スキポール空港は明るく、羽田に似て空港本館からエプロン(張り出し)が伸びている。
アムステルダムのスキポール空港は写真で見ると何の変哲も無いが、当時としては最先端の空港だと思っていた。好きな空港の一つ。
さあ勝手が分からない。流石に緊張して、おたおたした。とにかく、宿までたどり着いた。日本から送ってもらった「ヨーロッパ1日5ドル」という本で、風呂付きは高いことを知っていたから、風呂なしにして貰う。これで、一泊3,000円から1,800円になった。
アムステルダムの中心部は蜘蛛の巣の下半円の形をしている。蜘蛛の糸に相当するのが、運河である。円の中心が中央駅である。空から見るとよく分かる。ホテルは蜘蛛の巣の外だったが、小さい町なので、アクセスには困らなかった。
ここのお金はギルダー(またはフローリン、グルデン)といって、1ギルダーがちょうど100円になる。この下はセントという単位があって、1セント1円である。そのつもりで比較すると、物価は日本と同じぐらいである。ソ連と比べると、交通費が高い。ソ連の地下鉄は全線20円、それなのに、ここでは市電に乗っても50円取られる。少し変わっているのは、市電の切符を買って、45分以内なら何回乗り換えても良いと云うことだ。オランダ語は全然知らないから、どうしようかと思ったが、大部分の人は英語が話せる。それに上手だ。こちらが英語を話す勇気がなくなる。その上、モスクワの癖が残って、ダーダー(イエス)とかニェット(ノー)とか口から飛び出してしまう。案内書片手に町へ飛び出して、インドネシア(元オランダの植民地)料理と中華料理の合いの子みたいものを食う。700円ぐらい。
夜、観光バスに乗る。3,000円。まず、「飾り窓の女」の所へ行く。この話は上等ではない。有名なのは、ハンブルグにある。しかし、本家はアムステルダムだそうだ。つまり、窓を大きくしてある部屋に女が座っていて道を通る人に見えるようにして、折り合いが付けば、部屋に入れて、カーテンを閉める。仕事が終わったら、また、カーテンを開いて次の相手を探す。つまり売春宿ということで、港町には特有なもの。この辺は危険と聞いているので、ガイドのあとを恐る恐る、女を眺めて歩いた。次はストリップ。つまらない、日本のほうが良い。それから、ナイトクラブを二軒廻った。名前はエクスタス、ブルーノート、いずれもバンドがあり、ショウがあり、皆がダンスをしている。抱きついたまま、動かない奴もある。女の子に声を掛ければ、踊ってくれるという話だが、オランダ人でも断られている。黙って見ていた。いわゆる「壁のしみ」になっていた。ショウも大したことない。一緒のバスには6人いたが、その内5人までが、アジア人である。ツアーは夜の9時から夜中の1時までで、くたびれた。
10/16 (月)ユトレヒト
次の朝、見本市に行く。場所はアムステルダムより40km離れたユトレヒトという町。天候が悪くて土砂降りのハイウエイを時速140kmですっ飛ばす。かなり大きい見本市である。この日、ホテルの勧めるレストランへ行ったら、美味しくもないのに、1,200円取られた。ガイドブックの方が信用できる。
10/17 (火) アムステルダム
朝10時から昼の観光バスに乗り、市内をぐるぐるまわる。ものすごい天気で、雨が横殴りに降ってくる。秋は雨のシーズンでしょうがないらしい。でもモスクワよりずっと暖かい。これで大体土地勘が出来たので、昼から一人歩きをする。まずデパートを見物する。日本と同じ。面白そうなものはない。皆日本にあるソニー、ニコンなどから始まってパンテーンに至るまで日本の商品が多い。結局何も買わなかった。そこで昼食を取った。
中央駅から少し歩くとダム広場に出る。その周りに王宮や新教会が有る。新教会と行っても600年の歴史を持つ。
次はアンネ・フランクの家に行く。驚いたことに日本語のパンフレットがある。たしか密告で発見されたはずだが、良くまあ2年間も見つからなかったと思われるほど、簡単な隠れ家である。アムステルダムは水の都で、運河が多い。運河沿いは商品搬入に便利で、商売向きなので、土地は高価である。当然、家の間口は狭く、奥行きの長いウナギの寝床式の家が多い。それらの家では、明るさを確保するため、家の構造が横から見て凹型になる。この後ろの部分にアンネ一家が住んでいた。もう当時の面影は偲べないが、我々の時代にこのようなことが起きないことを願う。ささやかな寄付をしてきた。
次ぎ、旧教会の近くにある、屋根裏の教会を探す。昔オランダはカソリックをやめて新教(プロテスタント)になった。その時、改宗しなかったカソリック教徒が普通のビルの内側にこっそりと教会を造った。それが、3階だったので、「屋根裏のわが神」という渾名が付いている。表は雨と風が吹いている。誰一人いない。どこかで他の教会の鐘の音が聞こえる。この時、ヨーロッパに来たなと思った。典型的な17,18世紀のバロック形式である。
次ぎにメインストリートを歩き、やはり、ガイドブックに従い、レストランを探す。古いオランダの建物で、なかなか入る勇気が湧かないが思い切って飛び込んだ。ガイドブックに書いてあるほど安くはないが、1,100円で旨いものが食べられた。料理は日本の有名なフランス料理屋と大して変わらない。しかし、日本なら、3,000円はするだろう。
これでアムステルダムはお終い。次回は案内出来るかも。結論、アムステルダムは日本と変わらず、運河は京都の高瀬川に似て、港は神戸に似ている。