イギリス

イギリスという地名は多分イングランドから来ていると思うが、公式にはイングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドを含む連合王国(United Kingdom:UK)と呼ぶらしい。北アイルランドを別にして、一つの島としてまとめてグレートブリテン(Great Britain)とも呼ぶ。ちなみに、自動車のナンバープレートの英国の標識はGBである。実際に歩いてみても、イギリスを一言で表現することができない。表面上は一つの町と見えても、よく見ると区画ごとに違いがあるようで、つかみ所のない国という印象を受けた。

ロンドン

11/18(水) ロンドン(Hotel Russel

午後1時ロンドン着。ロンドンのヒースロー空港はアムステルダムみたいにはあっさり通してくれない。チップをどのくらいにするか見当が付かず閉口する。荷物を引きずりながら、やっとのことで、商社に到着した。荷物と悪戦苦闘している横を日本人が通り過ぎた。ちっとは面倒を見たって良さそうなものだと思い、中に入ったら、その日本人が当該商社の人間だった。これでは先が思いやられると思ったが、応対してくれる担当者が英国人で、しかも理系なので、何とかなった。ほとんどブラブラする時間がない。それでも、夜はスペイン料理を食べ、フラメンコを見た。ロンドンの盛り場であるピカデリーサーカスを歩き、商社マンの案内で怪しげなブルーフイルムを買い込む。モスクワへのお土産にする。ホテルは中流どころだが、高い。5,000円と予算をオーバーする。


入国するとき、やれやれ英語が話せると思っていたが、飛んでもない。一言も分からない。

後でロンドン方言(コクニー)だったと分かったが、完全に自信喪失した。「単語の意味を取り違えているらしい」などと囁かれているのが何となく聞こえるが、どうしようもない。さんざんだった。 

10/19 (木)

午後4時頃から英国人の案内で国会議事堂、ウエストミンスター寺院、バッキンガム宮殿と見て回った。女王はバッキンガムにはいなかった。居れば宮殿に彼女の旗が揚がって居るそうである。有名な宮殿の衛兵は、あまり観光客が悪戯するので、中に引っ込んでしまったそうで、遠くからしか見られない。残念だった。ロンドンはアムステルダムのような可愛いところではないが、堂々としている。黄昏のテームス川のウエストミンスター橋を渡り、議事堂、寺院と歩くのは何とも云えない。これだけで、あとのロンドン見物が出来なくとも文句はない。ロンドンは東京並みの大きさと混雑を持っているが、東京とは異なった雰囲気を持っている。この後、トラファルガー広場へと歩き、ライオンの銅像、ネルソンの記念碑を見て、宿に帰る。

       

 

グラスゴー

町を眺める余裕は全くなかった。その後も行っていない。

11/20(金)グラスゴー

グラスゴーへ飛ぶ。ロンドンより1時間半。地図で見たら分かるが、モスクワより北である。しかし暖かい。グラスゴーは造船で有名だが、私の目的地はペイズリーという小さな静かな町である。ここはスコットランド、いかにもイギリス(?)らしい田園地帯だった。次回来たら、ロッホ・ローモンド(歌に出てくる)を案内してやるとのことだった。きれいな所らしい。日本で云えば、東京−博多間を一日で往復したことになる。

       

ペイズリーがどのような町なのか、全く知らなかった。調べてみると、19世紀には繊維の町として繁栄していたらしい。写真の教会は姿が面白かったので撮ったが、当時の繊維王を記念して建てられたトマス・コーツ記念教会だと知ったのは最近のことである。ついでに、ペイズリー織りの模様もこの町に由来する。

ロンドン

10/21 (土)

午前中、ロンドン塔へ行き、更に時間が有ったので、蝋人形見物に行く(マダムタッソーの館)。ついでに背広を買うことにする。15,000円で既製服が買える。とにかく、ロンドンは赤字。どこかで辻褄を合わせることにする。

[ロンドン塔]

The Tower of London」を日本語にすれば「ロンドン塔」になるわけだが、towerに砦の意味があるので、ロンドン城と呼んだ方が実物にぴたりと当てはまる。11世紀にフランスから攻め込んだウイリアム征服王が建て、その後、要塞、宮殿、牢獄、貨幣鋳造所、公文書館、天文台、動物園、宝物庫などに使われたが、やはり牢獄としてのイメージが大きい。リチャード3世の王子殺し、ヘンリ8世の王妃斬首、メアリ1世の処刑等々陰惨な出来事を知ると、ロンドン塔がただの建物とは映らない。

  

   

   


[マダム・タッソー蝋人形館]

マダム・タッソーの館は有名人の蝋人形で評判を呼んでいるが、地下室は「恐怖の館」と呼ばれ、処刑、拷問などの場面を再現している。あまり気持ち良くない。何でもフランス革命の時にギロチンにかけられた人を悼むために作られた館とのことで、由来からしてぞっとする。

パリの宿をロンドンから予約した。モンマルトルにあるそうだ。とにかく慣れるころに移動するので、しんどい。飛行場よりホテルまでが一番緊張する。尚、ロンドンの食べ物は旨くない。

パリに向かう。天候不良。

このころ、ミニスカートが流行りだした。今見たら、どこがという感じだが、当時はショッキングな出来事だった。