ルーマニア
ブカレスト
ルーマニアで問題なく行動できれば、他の共産圏はどこでも通用すると云われるぐらい、ルーマニアは厄介な国だった。共産圏で無くなった今でもそうらしい。何しろ共産圏の官僚主義とイタリアのようなラテン語諸国のいい加減さを合わせ持っている国である。
11月20日(火)ホテル アンバサダー
ウイーンを出て、夕方にはルーマニアのブカレストに着いた。ウイーンも肌寒い所だったが、ブカレストはもっと寒い所だった。ブカレストみたいにつまらない所はそう無いだろう。何一つ面白い建物はなく、何一つ旨いものも無く、閉口した。
交通手段としては、タクシーとバスがあるが、簡単には捕まえられず、行って見たいところもないので、結局ホテルから表に出歩くことはなかった。写真もホテルの屋上から撮った1枚しかない。
ホテルのサービスもひどいもので、他の客から聞いた話では、サラダを注文したところ、サラダ菜を持ってきたのは良いが、葉の裏側にナメクジとミミズが仲良く遊んでいたので、文句を言ったら、別に食べるには支障ないと云われたとのこと。それからはサラダを注文する勇気はなくなった。
別の話では「ナメクジの存在は新鮮の証拠だから、安心して食べろ」となっていた。
三年後、2ヶ月ぐらいルーマニアの田舎に滞在したので、続きはそのときに。
ブルガリア
ソフィア
ブルガリアの印象はそれ程強くない。穏やかな土地という感じだった。時間の都合がつかず、郊外にあるリラの僧院を見損なったのが残念。
ブカレストに二日居て、列車でブルガリアのソフィアというところへ行った(ソフィア空港工事のため航空便は無かった)。夜行列車で10時間かかる。夜中に国境のドナウ川を渡った。ドナウ川の手前でパスポートや税関のチェックがある。共産国同志だから大したことないが、面白い経験をした。ソフィアには雪が降ったらしく、ぶるぶる震えた。ソフィアの町はきれいで印象はよかった。
アレキサンドル・ネフスキー寺院は町の中心に位置し、象徴的存在である。
マリア・ルイザ大通りに見える教会はモスクである。見回せば、町中にブルガリア正教、ロシア正教、イスラム教モスクと色々な教会が混在している。オスマン・トルコに長い年月支配されていた影響が残っているようだ。古くはローマ帝国の一部だった筈だが、どこにもその気配は残っていない。当時、もっともロシア(ソ連)に忠実な衛星国だと聞いていた。言葉もロシアと同じキリフ文字である。
但し、色々の手続きはブルガリア、ルーマニアとも、ソ連の悪いところと 自由圏の悪いところを一緒に持っているので、大変面倒でうんざりした。モスクワ行きの切符はそれでも一日で取れたが、大体飛行機の便が少なく、いつも満員である。これらの国に入ったら、すぐ脱出の方法を考えないと、とんでも無いことになる。
国営旅行社はホテルを世話してくれず、橋の下にでも寝ろと云うのかとごねてみたら、それは無理と云われた。なぜなら、ソフィアには川はないそうである。ジョークにもならない。結局ホテルが取れず、民宿した。感じはかえってホテルより良かったと思う。
東欧から手紙を出そうと思ったが、何でも2週間以上かかると云われてやめた。何しろ、ブカレストからソフィアに電報を打っておいて、翌日ソフィアに行ったら、電報は着いて居らず、相手の人もあと2,3日もすれば着きますと平気な顔で云うので、これは駄目だと思った次第。
11月24日(土)
列車でソフィヤからブカレストへ戻り、ここからソ連に戻る。ブカレストを夕方5時半に出て、モスクワには9時半に着いた。星空がきれいだった。オリオン座が真横に見えた。但し、オリオン座の一番下の星は地平線の下で、見えない。
追伸
11月25日(日)モスクワ(ホテルメトロポール)
モスクワに帰って、ロシア人の知り合いとウォトカを飲みながら、話をしたけれども、5週間で八つの国をまわれば、どの国も同じように見えるだろうと云う結論になった。