キエフ(現ウクライナ共和国)
キエフという名前の響きに、憧れに近い感情を持っていたので、キエフ行きを楽しみにしていた。ロシア発祥の国、キエフ・ルーシの都だったキエフは、今はウクライナ共和国の首都だが、古都の残照が見られるのではないかと思っていたが、現実はモスクワに対する反感が溢れている町だった。「君たちロシア人は」と云ったら、反射的に「我々はウクライナ人である」と返事が返ってきた。第二次大戦の時も、モスクワへの反抗から、ドイツに味方する人が多かったと聞かされた。ウクライナ語もロシア語とほぼ同じでありながら、キリル文字ではなく、西欧と同じローマ文字を使っている。人々は陽気だが、少々いい加減なところがある。
7月25日(火) キエフ ドニエプル・ホテル
ロシアの古き町、ムソルグスキーのピアノ曲「展覧会の絵」に出てくるキエフの大門、カタコンベ、第二次世界大戦で破壊された町・・・・キエフに来た。色々のイメージを持って・・・・。
しかし初印象は悪かった。モスクワからジェット機で約1時間、飛行場に着いたのは、午後9時半、迎えのハイヤーは見あたらず、とうとうバスに乗った。インツーリストの係員は適当なところで、後は一人で行ってくれと姿を消した。この後、ホテルを探しながら、やっと着いたときには、午後12時。いささか頭へ来た。木の多い町とは聞いていたが、これは、町ではなく、森である。所々に建物が隠れていると言った方が早い。お陰で、この町の地理が全く飲み込めない。また、昔の面影はほとんどない。こちらが荷物を持って必死になって、ホテルを探しているのに、林の中は人がいっぱい(本当は林ではなく、メインストリートだった)。夜は木ばっかりが目立つ。うろついている人たちはほとんどがカップル。なんだか、ここが、嘗て戦場であったのが不思議に思える。
泊まっているホテルは「ドニエプル」である。この町を流れるドニエプル川に因んだ、キエフで一流のホテルであるが、新しく造られた建物なので、安っぽい感じがする。土地の人はドニエプルのことを「ニプロ」と発音する。またキエフは陶磁器の産地だそうだ。焼き物を買って帰りたいが、重いから、どうするか思案中。ウクライナ風のブラウスもちょっと興味ある。結構高いけど(結局買わなかった)。
キエフの大門
11世紀には光輝く黄金の大門だったそうだが、廃墟が残っているだけだった。ムソルグスキーの音楽を想いながら、しばらく眺めていた。
その後再建したとのことだが、昔の面影は消えている。
当時のキエフで買ったガイドブックでは、「キエフ・ルーシ国の首都であったキエフはロシアの都市の母親であり、ロシア、ウクライナ・白ロシア人の3兄弟の揺りかごである」とあったが、実際にはロシアへの親近感は感じられなかったのが奇妙だった。少し調べてみると無理もなかった。9世紀に、スラブの人々は自分たちで国をまとめることができず、北欧のバイキングに頼んで王になってもらい、その支配下で国が運営されたとある。13世紀にはモンゴルの襲来に遭い、300年後モンゴルが去った後、ポーランド王国に支配された。17世紀に独立を目指したバクダン・フメリニッツキーという男がロシアを引き入れたため、以後ロシアの属国になってしまった。それでも独立心は強く、ロシアに盾突こうとしているものの、押さえ込まれているのが当時の状況だったのだ。
バクダン・フメリニッツキー広場に彼の銅像が立っている。銅像の向かいにソフィア大寺院がある。かってのキエフ城塞の中心に位置する。内部のデコレーションが素晴らしい。
バクダン・フメリニッツキーはコサックの頭領だった。コサックとは「はぐれ者」との意味だそうで、ポーランド王国を逃亡した農奴が主体である。1648年にフメリニッツキーの乱が始まったが、単独でポーランドに対抗できず、ロシアに同盟を求めたことから、ロシアの属国の道を開いてしまった。フメリニッツキーの評価は難しいが、依然として広場の中心に彼の銅像が立ち、彼の指揮棒はモスクワを指している。しかし広場の名前はソフィア広場と変わったらしい。
9月10日(日) 2度目のキエフ行き。
昼過ぎキエフに着いた。今度は昼間着いたので、町の森をゆっくり見ることができた。なるほど、美しいが、やはり夜のほうがきれいで、建物が見えないので都合が良い。前回のように、夜に建物を探すほうが間違っていたことになる。でも住んでいる人たちはごく普通である。町中では面白がられ、寄ってくる人もいた。こっちが珍獣扱いされている。とうとうウクライナの民族色豊かなブラウスを買った。木綿の安物なのに、4,000円もした。
町のメインストリートはフレシチャティク大通りで、以前と変わっていないようだ。中心に位置する威圧的な建物はウクライナホテルだが、ホテルとしては「ドニエプル」の方が上等のようだ。
ビゼーのオペラ「真珠採り」を見た。有名なアリアは分かったが、全体のストーリーが掴めないままだった。何しろウクライナ語である。お手上げだった。
キエフ一番の見物はやはりペチェルスカ修道院だろう。きらびやかな建物は敷地内に数多く散在しているが、なんと言っても、地下の洞窟に並んでいるミイラ群の印象が圧倒的であった。河に向かって傾斜している土地のため、地下に潜り込む感じで洞窟内に入ると、人が横たわれる程度の横穴が格子状に作られていて、歴代の司祭達が安置されている。顔は覆われていて見えないが、肘から手先までがむき出しになっている。ろうそくの灯火で見た腕は粉を吹いた枯れ木にしか見えなかった。これが延々と続く。
今は寺院に戻っているそうだが、当時は博物館だった。
ヴラディーミルの丘に登った。ここからの眺めはゆったりとした気分にさせてくれる。上流を眺めると、下町ポディル地区が見え、下流には緩やかなドニエプルの流れがかすんで見える。ヴラディーミル聖公の銅像が黙って見下ろしている。千年に渡る紛争が嘘のようだ。
もうキエフに来ることもないだろうが、ドニエプル河の丘から見る夜景は忘れられない。2回目の訪問で多少勝手が分かっているから、真夜中に人のいないところをほっつき歩いた。
夜遅くなり、レストランが皆閉まり、食べ物にありつけない。何かあるだろうとねじ込んだら、調理室まで連れ込まれ、材料が何も残っていないことを見せつけられた。やむを得ず、残っていた牛乳を分けてもらい、500mlほど、ガボガボ飲んだら、腹がおかしくなった。考えてみたら、当たり前のことだ。キエフは暑い。25,6℃はある。泳いでいる人がいた。本当はもっと涼しいのだそうだ。モスクワに帰ると12から15℃前後になるから不思議だ。たった800kmしか離れていないのに。
9月12日(火) これからモスクワへ帰る。
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