イギリス

ロンドンには度々行ったものの、イギリスの他の町にはあまり行っていない。駆け足旅行記でロンドンを書いたことだし、資料もあまりないので、イギリス編を省略しようと思った。しかし、ブライトンなど思い出深い町もあることを思い出し、追加することにした。

ブライトン

ブライトンはロンドンのヴィクトリア駅から南へ急行で約50分のところにある海辺リゾート。夏だけではなく、年中人が集まる、お洒落で活気のある町である。ランドマークとしては、海岸から突き出したブライトン・ピア(桟橋)があるが、度々改装され、昔とは様子が変わっている。近くには大学など教育施設も多い


1974.6.19 ロイヤル アルビオン ホテル、ブライトン

サセックス大のマーチン教授を訪れるために、ブライトンに行った。


終点ブライトン駅のホームで何気なく振り返って、目に入った光景にびっくりした。長屋スタイルの家が十軒、数十軒と連続して、緩やかな丘陵地帯の上を這うように伸びている。一軒一軒裏庭もある3階建てだが、隣家と壁一枚で繋がった建物が、帯状に伸び、地上を網目状に覆っているのが、なんとも言えず、奇妙であった。高層建築が少ないから余計に目立つ。海岸にあるホテルまで駅から徒歩15分。ホテル名のアルビオンはイギリスの古称である。

ロンドンからブライトンへ来ると、ひょっとしてブライトンの方が典型的なイギリスの町かもしれないと思ってしまう。チマチマとした住宅列、店頭で見るサイズの小さい家具(日本に持ち帰るならイギリスの家具と教えられた)等が普段の生活水準だと思わせる。この長屋スタイルの住宅は19世紀の終わり頃から盛んに建てられた伝統的な低層集合住宅で、テラスハウスと呼ばれるそうだが、大陸では見られない。




サセックス大学は比較的新しい公立大学だが、ノーベル賞を取っているマーチン教授の待遇はいいとは思えなかった。教授も正当に評価されているとは思っていないようで、時々愚痴が出て、自分が考えた特許を国が登録したため、その特許を使うのに使用料を取られ、馬鹿らしかった等々こぼしていた。個人的にはすごく魅力のある人で、好奇心が旺盛なので、いくらでも雑談ができた。話し中、当方の主張の雲行きが怪しくなると、日本の話題に切り替えれば、相手方は対処に手間取り、その間に態勢を挽回できたものだが、先生はきちんと反論し、当方の戦法は通用しなかった。ただ突拍子もないアイデアが湧き出してくるので、一般の人には受け入れにくかったのかもしれない。後年、ノーベル賞受賞者の精子を配布してはと提言して物議を醸したこともあったらしい。しかし、いままで、何人かの受賞者と知り合う機会があったが、雲上人になってしまった科学者、重圧で潰されそうになった技術者などの中で、マーチンさんだけはいつも自然体だった。かなり後になって、教授はアルツハイマー病になったことを公表した。メディアは勇気ある告白だと伝えた。

1974.8.20 

マーチン先生の自宅に泊めてもらった。料理も作ってくれた。といっても簡単なもので、ベーコンをとことん炒めるだけである。パリパリの紙のようになったベーコンは、それなりに美味しいものだったが、食器の後始末が面倒と、裏庭に投げ捨ててしまうのには恐れ入った。でも、明け方、シャツ一枚、フリチンで階段を上がってきて、コーヒーをそっと私の枕元に置いて行ってくれる優しさがなんとも言えなかった。

先生の自宅は例の長屋形式の集合住宅の一軒である。ロンドンに大きな屋敷があるらしい。たまたま先生が不在で、ご家族がロンドンから来ていたとき訪問したことがあったが、そのとき夫人が「マーチン教授は留守です」と言ったので、ずいぶん他人行儀な呼び方をすると思った。英国の中流階級では亭主のことを役職で呼ぶと聞いたことがあるが、本当なのだろうか、今もって不明。

 

ストラドフォード・アポン・エイヴォン

1996.12.5

ロンドン北西のコベントリーからの帰りに、小さな町ストラドフォード・アポン・エイヴォンに寄った。いわずと知れたシェークピアの町、予備知識が全くないので、町中を散歩した程度で、引き揚げてしまった。平凡な町で、きれいな水面の小川が印象的であった。


欧州調査のため、英国の企業を訪ねた際に寄り道をしてストラドフォードを回った時のメモである。その時はこの町が典型的なイギリスの田舎町と思えたが、どちらかというと例外的に落ち着いた穏やかな場所だったようだ。

ロンドン (追記)

すでに書いたが、家族で行った時のことを若干付け加える。

1974.11.3 インペリアル ホテル

大英博物館に近いラッセルスクエアにあるホテルに泊まった。しかし博物館は広すぎ、結局古代ペルシャ、エジプトを中心に見て回る程度で終わった。皆の興味はミイラに集中し、匂う、匂うと大騒ぎになった。確かにミイラ室には独特の臭いがするように感じる。あと。ピカデリーサーカス、トラファルガー広場と廻り、バーバーリーなどで買い物をする。生地はいいのだが、縫製はもう一つ。バッキンガム宮殿、ロンドン塔にも行った。ロンドン塔のビーフィーターと写真を撮る。相変わらず、食べ物は不味い。ただし、インドカレーが美味しいことを発見した。




ビーフィーター(牛食い)とはロンドン塔ガードマンの愛称。人気があり、いつも被写体になっている。市内を回る交通手段として地下鉄を使った。便利だが、車両が小さい。東京でいえば、大江戸線か。この例だけではないのだが、どうもイギリスの尺度は、大陸に比べて、小さい。これだけではなく、やはりイギリスはヨーロッパに属していないのだと想わせるものがちらほらと見える。大陸のヨーロッパ各国のような独自の特徴がなく、すべてが混ざり合っていて、あらゆる人種が存在し、かつ固有の食べ物がない。ローマ支配の後、アングロ・サクソン人が先住民のケルト人を追い出し、一旦はアルフレッド大王が統一するものの、ヴァイキングによる王国となり、さらにフランス・ヴァイキングの侵攻(ノルマンの征服)で入れ替わり、現在の王朝につながるという系譜、古英語とフランス語が混じり、名詞の性別もなくなった現代英語、カトリックをやめて、英国国教会に切り替えてしまった等々を考えあわせると、したい放題の国として発展してきたような気がする。全世界を制覇できたのも当然かもしれない。反対に覇権国になったから、このような国になったとも言える。もう少し知りたかった国だった。

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