ヴェトナム

仲間内のNさんが、ヴェトナムに赴任することになった。現地に落ち着いたら来ても良いと云ってもらったので、早速好意に甘え、準備を始め、2010年にメンバー5人でハノイに行った。結構楽しかったし、他にも訪問できるところもありそうで、またヴェトナムからカンボジャへ簡単に行けるらしいことも分かり、再度計画が盛り上がり、夫婦も含めてメンバーを募って、2013年にもう一度訪れた。この2度の旅の間隔はそれほど離れていないので、日誌を場所ごとにまとめることにした。また、できるだけ内容が重複しないようにした。

ハノイ

ハノイはヴェトナムの首都である。南北に細長いこの国の北部にあって、中国と地続きである。

2010.10.8 金 

現役もいるので、週末の便で成田を発った。1720成田発のJL751で、中国杭州の上空をかすめて2100ノイバイ空港(ハノイ)に着き、Nさんにピックアップしてもらい、22:00にハノイ北部のタイホー地区のN邸に着いた。海外駐在員用アパートメントで、素晴らしいが、公費だけでは賄えず、私費を足しているとのこと。セキュリティを考えれば、レベルを下げる訳にはいかず、辛いところである。翌日はハロン湾に向かう。


翌朝の日の出が綺麗だった。


2010.10.11 月

半日ハノイ市内観光ツアーに参加した。まず町中を通り抜けて、ホーチミン廟とホーチミンの家を見て、少し南に歩き、孔子を祀った文廟へ行き、東に向かってホアンキエム湖を回る。文廟の区画内に3つほどの中国風の建物群がある。ホアンキエム湖の中の島に玉山祠と云う神社が建っていて、若いカップルなどが記念写真を撮っていた。


昼はヴェトナム料理、生春巻きがおいしい。午後ショッピング。夜は著名なレストラン、ワイルド・ロータスで夕食。ベトナム料理をベースに、アジアと西洋が溶け合った味わいが売りである。食後ノイバイ空港へ移動、2330時発JL752便で、翌日655に成田に着いた。足掛け4日、かなりの強行軍であった。

ホーチミン廟はモスクワのレーニン廟そっくりである。2010年に、ちょうどハノイが首都になった1010年から1000年経ったそうで、廟の前のバーディン広場で祝典が催されたらしい。広場は綺麗に飾られていた跡があった。ハノイの古名であるTANG LONG(昇龍)の飾り文字が掲げられていた。アドバルーンがいくつか残っていた。廟の隣にはホーチミンの家がある、と云うより家の隣に廟を作ったらしい。横には博物館がある。家の周りに観光客が群がっていて、人がひっきりなしに動いていく。バック・ホー(ホーおじさん:ホーチミンの親しみを込めた尊称)の人気が依然として高いらしい。



2013.2.22 金

二度目のハノイ行きである。18:00成田発のJL751便で22:25ノイバイ空港に着く、前回同様にNさんにピックアップしてもらい、夜中にN邸に着いた。

2013.2.23 土 

N夫人の案内でハノイ市を見て回る。ホーチミンの家の周辺、一柱寺と回って、文廟に行く。何かイベントが行われている。残念ながら何の集まりかわからない。たぶん旧正月に関するものだろう。そこから、オペラハウスを横目で見ながら歩き、ホアンキエム湖に浮かぶ小島にある玉山洞へ行き、亀の剥製を見る。伝説があるらしい。さらに北へ歩き、活気のある旧市街をうろつき、ドンスアン市場に入り込む。ナッツなどを買う。







一柱寺は1049年に建てられた古い寺だが、一本の柱の上に御堂が乗っているという形がユニークで名所になっている。文廟は孔子を祀るための建物だが、ヴェトナム最古の大学が創立された場所でもあった。境内には科挙(国家試験)合格者の石碑が並んでいる。絶えず人が出入りして、賑やかである。ホアンキエム湖は町の中心に位置している。湖の玉山銅の亀の剥製は、昔、戦いの前に、王に宝剣を渡し、勝利後返還を求めた亀であると噂されている。湖の北は旧市街で、古い町並みが保存されている。

マダムヒエンでお昼を食べる。食後ショッピングを続け、刺繍絵画の店クオックススーや少数民族工芸品のクラフトリンクなどで土産品を買う。夕食は、無国籍風のレストランで取った。ここで、中部ヴェトナムに行くグループとハロン湾グループに分かれ、後程ホーチミン市で合流する手筈となった。

2013.2.26 火 

 午前中、マッサージを試したあと、町を散策。お昼はN夫人お勧めのNAM 76レストランで名物の「キノコ入りおこわ」を食べる。またハノイに行くときには、必ず食べたいと思わせるほどの美味だった。


午後ノイバイ空港に行き、ヴェトナム航空VN837でカンボジャのシエムリアップへ飛んだ。

ハロン湾

2010.10.9 土 一回目

朝マンションの食堂で、フォー(米粉麺)を食べる。ヴェトナムの代表料理であるフォーは流石に旨い。

今日はハロン湾の12日クルーズに参加する。ハロン湾はヴェトナムの代表的な景勝地で、鏡のような海面から数百、数千の奇岩や小島が突き出ている風景は世界遺産。ハノイ観光での必見の観光地である。朝8時に迎えの車が来る。ホン(紅)河を渡り、東へ海を目指す。150kmの悪路である。くたびれ切った頃、バイチャイ町からバイチャイつり橋を渡って、ホンガイの町に着く。岸辺に出て、バーヤ・クルーズ社のカフェでチェックインし、小さなタグボートに乗り換え、ハロン湾に停泊中のクルーズ船に行く。一見、海賊船風ジャンクである。他の会社の船も群がっているが、皆同じような3階建ての船、帆は畳んである。



乗船の後、クルーの挨拶を受け、船室に向かう。ホテル並みの部屋だった。午後1時にヴァイキング・ランチを食べる。船はヴンヴィエン漁村に着き、ボートに乗り換え、養殖真珠の核入れなどを見学するが、日本で見ているから、興味は湧かない。むしろ漁村の小型ボートの漕ぎ方の方が気になる。若い女性が全体重をかけて、櫓を漕いでいるのを見るとちょっと申し訳ない気分になった。




戻って、ジャンク船のサンデッキで日の入りを一心に眺めていた。クルーズ最高の気分だったと思う。夜は食堂でシーフード・ディナー、材料は上等だと思うが、洋式料理はもう一つ。ヴェトナム料理を食べたかった。食後、暗闇のサンデッキで過ごす。若い客たちは夜の海を泳いでいる。釣りをしているものもいる。あたりは物音一つしない。夜空の星が綺麗だったと云いたいが、あまり見えなかった。

旅を楽しむと云う意味では、これだけゆったりできる気分を味わえる場所はそうそうないだろう。“海の桂林”と云われるそうだが、逆に桂林を陸のハロンと呼んだほうがよさそうな気がする。

2010.10.10  

朝サンデッキで太極拳体操、ドジな私が引っ張り出されて、コーチの指導を受ける。朝食後、船はスンソット洞窟へ行くが、登り下りは御免と、一人残りサンデッキから見ていた。周りの奇岩や空を見ているだけで、まったく飽きなかった。洞窟から戻ってきた客を回収して、船は引き返し始める。港について、再びタグボートで陸に戻り、ハロン湾12日クルーズが終わった。ここから、再び車で、ハノイに戻る。途中、土産物屋や陶器村で休みながら、悪路に耐えた。夜、レストラン「カイズ・ブラザース」で夕食後、N邸で飲み会が始まった。素晴らしいワインを出してもらった。バロン フィリップ ド ロスチャイルド カラバスで、世界の一級品である。ヴェトナムで飲めるとは思わなかったが、ヴェトナムは旧フランス植民地だったことがあるから、未だルートが残っているのかもしれない。



2013.2.24 日 二回目

別動隊と分かれ、夫婦組はハロン湾に向かった。あいにく曇り空だったが、コースは同じ、ただ港が変っていた。前回は東のホンガイ岬の浜辺からタグボートに乗り、沖合のジャンク船に移ったが、今回は西のバイチャイ岬に新しく作られた港湾施設から乗り込んだ。ヴェトナムの進歩は速い。湾内の遊覧は前回と同じなので、省略。


帰路、陶器村でバッチャン焼きの皿を買い込む。デザインもまずまずで、家で使っているが、結構重宝している。

ホーチミン市(サイゴン)

以前はサイゴンと呼ばれた町である。ヴェトナム戦争が終わった1975年からはホーチミン市となった。ホーチミンは人名でもあるので、サイゴンと呼ぶ方が気持ちの上では楽である。市内でサイゴンの名前を良く見かける。ハノイから直線距離で約1200km(青森―福岡間位)離れた南方に位置している。

今回の旅は、ハノイからカンボジアのアンコールワットへ行き、アンコールワットからサイゴンに回ると云う三角コースを辿った。一つの旅日誌にするという手もあったが、やはりアンコールワットを別にしたかったので、ここでは書いていない。

2013.2.28 木 Sherwood residence hotel

ヴェトナム航空vn3820便でカンボジャ シエムリアップを発ち、1845ホーチミンに着いた。上空からホーチミン市を見た。光の乱舞である。


2013.3.1 金

晴天である。市内見物を始める。まずは統一会堂へ行く。フランス植民地時代のインドシナ総督府宮殿だったが、フランス撤退後、南ベトナム共和国時代に独立宮殿と改名され、大統領官邸として機能していた。そして、1975.4.30に北ヴェトナム解放軍の戦車が突入し、31年間のヴェトナム戦争が終了し、南北ヴェトナムが一つの国になってからは、この建物は歴史的遺産及びゲストハウスとなった。前庭には、宮殿に突入した戦車や戦闘機などを展示してある。



ここを出て、すぐ近くににある戦争証跡博物館に回る。ヴェトナム戦争を実証する博物館である。無残な戦争の資料が山とある。アウシュビッツの一方的な民族抹殺には涙するしかなかったが、サイゴンの無駄な殺し合いには、勝ち抜いたヴェトナム民族の誇りが掛かっている。1000年以上独立を願って戦い続けた人たちなのだ。

秦の始皇帝によって中国領とされてから、10世紀にようやく独立した。その後絶えず中国と争いながら、独立を維持するも、19世紀にフランスの植民地となる。1945年、日本の敗戦より独立を宣言したが、フランスとアメリカから横槍を入れられ、戦いになったが、1975年に勝利し、統一ヴェトナム共和国が成立した。意思の強い人々の国なのである。

しかしもう、市内には戦役を想い起こすようなものはあまりない。フランス人が造った聖母マリア教会や中央郵便局などの美しい建物が近くに立っている。ランチをマリア教会の傍のカッフェで食べる。ヴェトナム式コーヒーが珍しい。コーヒーセットを誰かが買っていた。




食後ヴェトナム歴史博物館に行く。典型的な博物館で、先史時代から現代にいたるヴェトナムの歴史を紹介している。ついでにホーチミン作戦博物館による。ヴェトナム戦争の経緯が分かる。

午後5時、水上人形劇(タンロン劇場)を見に行く。人気があるようで、小さい劇場は満員。ハノイの人形劇が本場だそうだが、2007年からサイゴンでも見られるようになったとか。乳白色の水面に人形が動き回り、両袖の民族楽器が囃し立てる。筋は判らないが、プログラムには、17の短い寸劇を集めたもので、祭り、龍の踊り、田植え、獅子舞、仙女の舞などとある。終わった後、人形遣いが後ろから現れるが、大きく見え、実は人形は小さいのだと分かる。長い竹棒の先に付けた人形を操るのだが、仕掛けは水に隠れ、見えない。コミカルで可愛い。



夜、ディナークルーズに行くことにする。サイゴン川の埠頭でどのクルーズにするか品定めをする。ジャンクスタイルの船を選び、乗り込む。結構混んでいる。ショウや演奏などもあるが、もっぱら飲み食いに専念した。船はサイゴン川を町はずれまで航行し、反転し、埠頭に戻った。河岸には新しいビル群が林立していた。


2013.3.2 土

タクシーでホーチミン市の繁華街ドンコイ通りに行く。わりに森閑としている。午前中ではまだ町は目が覚めていないのかもしれない。有名な店が並んでいるのだが、開いていない。しょうがないので、タクシーで中華街(チョロン)に行く。ビンタイ市場に入り込む。



混雑、雑踏、山積荷物、喧噪、活気そして食品、雑貨、衣類、台所用品それに食堂と何でもある。卸売り専門市場だそうだ。2階に行くエスカレーターがあるが、何故か動いていない。積んである品物が邪魔している。中国伝統家屋の中庭もある(四合院造りと云うのだそうだ)。一周するのに、かなりのエネルギーが必要だった。市場斜め前の食堂で昼飯を食べ、一息つく。

歩いてティエンハウ寺に行く。航海の神様を祭る寺院だそうだが、ごてごてと飾り立てられている感じで、孫悟空まで祭られている。上からぶら下げられている螺旋型の線香が目立つ。火が点いている間、お祈りの効力があるという。



夜は、ホテルの裏にある、トウキョウタウンとかいうちょっと怪しげな食堂に行った。大判焼き、お好み焼きなど、若いお姉ちゃんが注文を取りに来る。なんだか新宿の歌舞伎町にいるような気がした。


夜遅く空港に移動し、2355JL750便で発ち、翌3720に成田に着いた。疲れた。

ハノイはどこも雑踏の渦で、活気が溢れているが、どことなく品がある。それに対し、ホーチミン市(旧:サイゴン)は猥雑一色である。陽気で、活力があるのは結構だが、どうも怪しい。なんでもありそう。サイゴンが持っていた雰囲気は変わっていないと思う。若いころ、商社に籍を置き、物資をヴェトナムに送る仕事をしていたことがある。米軍の、握手のマークを張った輸出物資を横浜港に発送するときや、サイゴンの貿易商と話をしていたときなど、ヴェトナムはどんなところだろうとぼんやり考えていたことを思い出す。彼は土産に石をくれた。ガラス玉かそれとも本当の宝石なのか判らないまま、未だに持っている。サイゴンに来てみて、当時は何も知らなったのだと、つくづく思った。

 

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